【自分の感情を大事にすることが言語化の第一歩!】「好き」を言語化する技術(書評)

後輩1
後輩1

「やばいね」

後輩2
後輩2

「やばかったね〜」

後輩1
後輩1

「やばいしか出てこないね」

後輩2
後輩2

「やばい、やばいって言葉でしか会話していないけど、なんか伝わるね」

とあるライブ帰り、飲み会での会話です。

この会話を聞いて、自分の中にふと疑問が湧き上がってきました。

なぜだろう・・・?

「なぜ、「やばい」しか出てこないのだろう」

「でも、伝わっているのも面白いな」

今回紹介するのは、三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』です。

本書のサブタイトルにこうあります。

推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しか出てこない

引用元:「好き」を言語化する技術

まさに、自分の疑問に答えてくれるのはこの本だ!と思いました。

本書が示しているのは、「好き」を言語化するためには、自分の感情を大事にすることであると述べられており、これが一番大事だと思います。

「好きってことは自分の感情なんだから、大事にするって当たり前のことじゃない?」

こう思われる方もいると思います。

ただ、現代の時代背景と言語化する壁を突破するには、やはり自分の感情を大事にすることが必要となってきます。

その理由も含めて、書評と自分なりの解釈を記事にしようと思います。


なぜ「自分の感情を大事にすること」が重要なのか?

それは、他人の感情や言葉に流されて、発信や言語化ができなくなっている世の中になってきてしまっているからです。

SNSを覗けば、好きなライブや映画の感想で溢れかえっています。

そんな感情の海の中に晒されると、自分の「よかった!」「感動した!」という「好き」な気持ちが言語化される前に、他人の感情で上書きされてしまうからです。

心の揺れうごいた感情はうつろい易く、他人の言語化された感情が自分のものだと錯覚してしまうからです。

「クリシェ」を使用しない

本書では、「クリシェ」を使用しないことが推奨されています。

クリシェとは、フランス語で「ありきたりな決まり文句、常套句」と言う意味です。

つまり、ありきたりな言葉、フレーズを使用しないと言うことです。

特に感想界のクリシェと呼ばれるものが、

クリシェとは?
  1. 泣ける
  2. やばい
  3. 考えさせられた

これらの言葉を乱用してしまうと、感想自体はそれっぽくなります。

ただ、言いたいことがふわっとしており、感情の細部が見えてこなくなってしまいます。

自分なりの解釈ですが、「言葉の範囲が大きい語彙を使用しないということなのでは?」と解釈しています。

どういうことか。

例えば、本を読んで「面白かった」と言う感想が出てきたとしましょう。

ただ、「面白い」と言う言葉には、

「楽しい」などのようなウキウキする感情もあれば、

「興味深い」などのような知的好奇心をそそられる感情も含まれています。

その時に、ただ「面白かった」と感想を終わらせるのではなく、

「今まで知らなかったことを知れて興味深かった」

などのように述べれば、より「好き」を伝えられると思います。

自分の好きがうつろい易い時代

現在、「好き」や「嫌い」の感情がSNSであふれかえっています。

自分の感情を言語化する前に、そういった他人の感情の海に流されてしまうと、他者の感情を自分の感情として受け入れてしまいます。

そんな現代だからこそ、自分の心で感じたものを大事にすることが必要なんだと思います。

そのためには、自分の感情や感想をまとめ終わらない前に他者の感想を見ないことが必要です。

伝わる文章のヒント

ここからは、自分の読み取った伝わる文章のヒントを2つだけ紹介してしようと思います。

妄想を広げる

一つ目が、妄想を広げるです。

ある映画を見て「面白かった」と言う感情が出てきたとします。

その時に「どこが面白かった」「どんなところが面白かった」と思考してみるとよいと紹介されています。

この手法に関しては、言葉の解像度を上げることなのではないかと解釈しています。

「面白かった」と言う感情は、ぼやーっと、白いものがあるけれど、モヤがかかっているような状態。

それをなんで面白かったのか、どう面白かったのかと問い続けることで、そのピントが合ってくる。

そうすると、ぼやぼやしていたピントが合っていき、「あ、これは知的好奇心をそそられる面白いだったんだな」と気づく。

そうすると、面白さの具体性が増して、感想が書けるのだと思います。

言語化とは細分化のこと

二つ目は、細分化することです。

それは、細かければ細かいほどオリジナリティのある感想になるからだそうです。

例えば、

「この映画のこのみんなでビールを分け合うシーンは、長年無実の罪で投獄させられて、希望を失いかけてもおかしくない、そんな理不尽な環境だけれども、みんなで協力して達成感を味わうことができる、希望を持っても良いと態度で示してくれるシーンに感じて、その生き方と勇敢さに涙腺が潤んだ」

などであれば、より具体的ですよね。(ちなみに「ショーシャンクの空に」という自分の好きな映画のワンシーンです)

感想が細かければ細かいほど、より具体性が増し、オリジナリティあるその人自身の感想になると言うことです。

伝える必要があるのか?

最後に、一つ。

そもそも「好き」なことを伝える必要があるのでしょうか?

好きなものは心の内でしまっておき、「好き」なものは「好き」の言葉だけで片付けてしまってもいいのではないでしょうか?

「やばい」「感動した」だけの言葉で終わらせてしまってもいいのではないでしょうか?

本書で「好き」なものを言語化する理由について、書かれた一文を引用します。

なぜなら、自分の言葉で、自分の好きなものを語るーーそれによって自分が自分に対して信頼できる「好き」を作ることができるのだから

引用元:「好き」を言語化する技術

これは、「好き」なものを言語化しておくことで、将来、自分が好きだったものがわからなくなる時、忘れてしまいそうになるときに食い止めてくれるってことなんだと思います。

自分を過大評価せず、また、普遍的な価値観(好き)はない、うつろいゆくものだという前提に立っているからこその言葉だと感じます。

自分の好きと言う感情、そして人間に対しても誠実な言葉だと感じますし、この言葉に自分も同意しています。

好きは鮮度がある

「好き」という感情は時間と共にうつろいゆくもので、鮮度がある。

それを言語化することで保存できる。

それを好きでなくなった時にもう一度好きになる…必要はないけれど、「好き」で合ったことを確かめられれば、自分を信頼できる。

この「自分を信頼できる」という感情が大事なのかなと思います。

今は好きではなくなってしまったけれども、過去に好きだったものの輪郭をなぞることができれば、昔の価値観を知ることができる。

その好きで無くなってしまったものを含めて、過去の自分自身を否定しなくても良い。

言語化するということは、自分で自分を好きでいられる、信頼できる手段なのだと思います。

伝えきれなかったこと

本書には、他にもこんなことが書かれており、全部は紹介できていません。

  • 書くためのプロセス
  • 好きな感情のメモの仕方
  • ポジティブな感情とネガティブな感情の感想のパターン
  • SNSでの発信の仕方やブログなどの長文での発信の仕方
  • 情報の差異のある人への語り方

気になる方がいましたら、本書を手に取り、ぜひ読んでみてください!

まとめ

「好き」を言語化するためには、自分の感情を大事にすること

そのためには

  • クリシェのような安易な言葉を用いない
  • 他人の感情に上書きされてしまう前に、自分の感情と向き合うこと

が大事と言うことです。

本記事を最後まで、読んでいただきありがとうございました!!

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